所沢は西武鉄道の池袋線と新宿線が交わる所で、かつては駅の西側に所沢車両工場があった。その跡地にこの9月、エミテラス所沢という商業施設がオープンして、そこには昔を偲ぶレガシーが3箇所設けられている。レガシー1は工場への引込み線跡、レガシー2はオトギ電車のバッテリー電機、レガシー3は2000系電車のシミュレーターで、1と3は施設のオープンと同時に展示されているが、2は今月の16日深夜に搬入されて17日から公開となった。20日には公開記念の撮影会が行われるようなので、これを避けて19日に現地を訪れてみた。

11:50頃に所沢到着。5番線(池袋線下り)ホームには「鉄」が大勢集まっているし、止まっている6000系の向こうにちらっと黄色い車体が見える。そうか、これは数日前から小手指で準備中と伝えられていた新2000系の甲種輸送だなと気づき、私も5番線に移動する。4番線には特急が停車していて、これが出なければ5番線の6000系も出発できない。やきもきしているうちに回送列車は動き出したので、跨線橋の上から後追いを数カット撮った。特急は数分以上止まっていたから、「鉄」対策として意識的に発車を遅らせていたのかも知れない。

思わぬ拾いものでなんとなく得した気分になり、改札口を出る。私は約50年前に1年ほど所沢に住んでいたけど、駅はずいぶん立派になったものだ。

西側に出ると案内があった。徒歩4分、てそんなにかかるかな。

地平には降りず、そのまま西武S.C.(昔の西武百貨店)の中を突っ切って道路を渡ればエミテラス所沢の入口。これはそこからから振り向いたところ。

道路を渡る途中で左を注目。左の矢印がレガシー1の引込み線跡、右の矢印の所にレガシー2のバッテリー電機が鎮座している。

2階の出入り口。看板はかなり控え目だ。

主なテナントはこんなところで、それほど堅苦しい雰囲気ではない。

まずは最上階の4階まで上がってみる。ここはシアターが半分くらいを占めている。

南側は「そらくもダイニング」というフードコート。1階のフードコートより規模は小さい。

窓際には子供が遊べるスペースがある。

外はそらくもひろば。この日は日射しがあって暑いくらいだった。

富士山も見える。右端の白いのが西武ドーム(今は違う名前らしい)。

1階に降りる。レガシー3は入口からすぐのエスカレーター脇にある。

シミュレーターになっているようだが、まだ中には入れない。

外に出てバッテリー電機とご対面。少し奥まっているが天井が高いからそんなに暗くはない。

形式写真風に撮ってみる。かなり狭いけど運転席は前後別だったのだろうか。横向きでは腕がつかえてしまいそうだ。

前面。中央の窓は押出し式で開閉できる。それでも夏はクソ暑かったと思う。

説明板もある。

現役の頃の写真。1962年4月でまだ蒸機は運転されていない。最初に乗ったのは小学校の遠足で、ユネスコ村のオランダ風車の前で集合写真を撮るのがお決まりだった。

床下も撮ってみる。前後に通っている梁はなんの役目なのだろう。

モーターは外側に取付けられている。下回りカバーの内側にえらくガッチリ鉄板が重ねられているのは、空転防止のために後付けしたのだろうか。

レガシー1の引込み線跡。ちょっとレールが目立ちにくいなぁ。

説明板。引込み線は左端の黒っぽい屋根の建物のあたりに通じていたはず。

ちょうど横断歩道のあたりが引込み線だったと思う。右に踏切があり、貨物列車の入換えで20分以上閉りっぱなしになることもあった。

その踏切はやっと立体化されるようだ。

地平を歩いて駅に戻る。元工場の北半分はすでに高層住宅が建っている。横断橋の先が工場の入口だったはず。

東口にはグランエミオもでき、だいぶ存在感が薄くなった西友ストア。50年前に大きな建物といえばここと、この背後にあったパチンコ屋くらいだった。所沢も変わったなぁ。

11:50頃に所沢到着。5番線(池袋線下り)ホームには「鉄」が大勢集まっているし、止まっている6000系の向こうにちらっと黄色い車体が見える。そうか、これは数日前から小手指で準備中と伝えられていた新2000系の甲種輸送だなと気づき、私も5番線に移動する。4番線には特急が停車していて、これが出なければ5番線の6000系も出発できない。やきもきしているうちに回送列車は動き出したので、跨線橋の上から後追いを数カット撮った。特急は数分以上止まっていたから、「鉄」対策として意識的に発車を遅らせていたのかも知れない。

思わぬ拾いものでなんとなく得した気分になり、改札口を出る。私は約50年前に1年ほど所沢に住んでいたけど、駅はずいぶん立派になったものだ。

西側に出ると案内があった。徒歩4分、てそんなにかかるかな。

地平には降りず、そのまま西武S.C.(昔の西武百貨店)の中を突っ切って道路を渡ればエミテラス所沢の入口。これはそこからから振り向いたところ。

道路を渡る途中で左を注目。左の矢印がレガシー1の引込み線跡、右の矢印の所にレガシー2のバッテリー電機が鎮座している。

2階の出入り口。看板はかなり控え目だ。

主なテナントはこんなところで、それほど堅苦しい雰囲気ではない。

まずは最上階の4階まで上がってみる。ここはシアターが半分くらいを占めている。

南側は「そらくもダイニング」というフードコート。1階のフードコートより規模は小さい。

窓際には子供が遊べるスペースがある。

外はそらくもひろば。この日は日射しがあって暑いくらいだった。

富士山も見える。右端の白いのが西武ドーム(今は違う名前らしい)。

1階に降りる。レガシー3は入口からすぐのエスカレーター脇にある。

シミュレーターになっているようだが、まだ中には入れない。

外に出てバッテリー電機とご対面。少し奥まっているが天井が高いからそんなに暗くはない。

形式写真風に撮ってみる。かなり狭いけど運転席は前後別だったのだろうか。横向きでは腕がつかえてしまいそうだ。

前面。中央の窓は押出し式で開閉できる。それでも夏はクソ暑かったと思う。

説明板もある。

現役の頃の写真。1962年4月でまだ蒸機は運転されていない。最初に乗ったのは小学校の遠足で、ユネスコ村のオランダ風車の前で集合写真を撮るのがお決まりだった。

床下も撮ってみる。前後に通っている梁はなんの役目なのだろう。

モーターは外側に取付けられている。下回りカバーの内側にえらくガッチリ鉄板が重ねられているのは、空転防止のために後付けしたのだろうか。

レガシー1の引込み線跡。ちょっとレールが目立ちにくいなぁ。

説明板。引込み線は左端の黒っぽい屋根の建物のあたりに通じていたはず。

ちょうど横断歩道のあたりが引込み線だったと思う。右に踏切があり、貨物列車の入換えで20分以上閉りっぱなしになることもあった。

その踏切はやっと立体化されるようだ。

地平を歩いて駅に戻る。元工場の北半分はすでに高層住宅が建っている。横断橋の先が工場の入口だったはず。

東口にはグランエミオもでき、だいぶ存在感が薄くなった西友ストア。50年前に大きな建物といえばここと、この背後にあったパチンコ屋くらいだった。所沢も変わったなぁ。