大橋というだけでは「どこの大橋?」と突っ込まれそうだけど、クルマに乗っている人なら、首都高の大橋ジャンクションが頭に浮かぶだろう。私の場合は玉電で渋谷から二つ目の電停で車庫のある所、なのだが、その玉電が廃止されたのは昭和44(1969)年だからもう55年前のこと。大橋ジャンクションはその車庫の跡に位置していて、その上が庭園になっているという話を聞き、どんなものなのかと見に行ってきた。

田園都市線の池尻大橋で下車して地上に出たところ。道路は246号で右奥が渋谷方面になる。

上の画面に見えていた横断橋に上がる。

ここが目黒天空庭園の入口。旧山手通りから目黒川を渡った少し先までは目黒区なのだ。

陽の当たらない場所だが、ミニ庭園風になっている。

ループの下を潜り、陽の当たる場所に出る。

葡萄棚のようだけど、ほとんど実っていない。これで収穫祭ができるのだろうか。

ここがジャンクションのループの上とは思えない。反時計回りに上るがそれほどきつい勾配には感じない。

東屋もある。

だいぶ高くなってきた。これは北の方向。

西方向。それにしてもこれだけの土を入れるのは大変だったと思う。

ほぼ一周して最高所に到達。この奥は自然環境維持のためとかで入れない。

東側に建っているクロスエアタワーの9階と同じ高さ。このフロアには図書館などが入っている。

ぐるっと回るから方向感覚が狂ってくる。東側はビルがあるので展望は利かない。

実写だと位置関係がよくわかる。

首都高へのアプローチ部分。クルマで通過すると高さの感覚がわからない。

クロスエアタワーの回廊から南方向。

東方向、左が渋谷のビル群、煙突は山手線の線路脇にある清掃工場。こうして見ると東京タワーも結構存在感がある。

地上に降りて目黒川沿いに歩く。

こんな案内板があった。玉電の電停をイメージしたモニュメントがあるらしい。

クロスエアタワーの南側にあったけど、説明板もなくて、玉電を知らない人には単なる出っ張りと意味不明の2本線にしか見えないだろう。

ひととおり見終わったところで、昔の写真を引っ張り出して玉電を偲んでみよう。朝方は渋谷に向かう電車が数珠つなぎになっていた。ナショナルの看板があるビルの右にある上目黒氷川神社は玉電を眺める絶好の展望台だった。

その神社から渋谷方向を見たところ。この時代は邪魔物がなかった。

上目黒氷川神社は現在も同じ位置にある。

急な階段を上る。

今は東側にマンションが建ち、見晴らしは限られる。

大橋の電停。車庫は右手奥になる。

廃止を1月後に控えた昭和44年4月で、すでに一部のレールが撤去され、この年の6月から営業開始となる東名急行のバスが待機していた。

田園都市線の池尻大橋で下車して地上に出たところ。道路は246号で右奥が渋谷方面になる。

上の画面に見えていた横断橋に上がる。

ここが目黒天空庭園の入口。旧山手通りから目黒川を渡った少し先までは目黒区なのだ。

陽の当たらない場所だが、ミニ庭園風になっている。

ループの下を潜り、陽の当たる場所に出る。

葡萄棚のようだけど、ほとんど実っていない。これで収穫祭ができるのだろうか。

ここがジャンクションのループの上とは思えない。反時計回りに上るがそれほどきつい勾配には感じない。

東屋もある。

だいぶ高くなってきた。これは北の方向。

西方向。それにしてもこれだけの土を入れるのは大変だったと思う。

ほぼ一周して最高所に到達。この奥は自然環境維持のためとかで入れない。

東側に建っているクロスエアタワーの9階と同じ高さ。このフロアには図書館などが入っている。

ぐるっと回るから方向感覚が狂ってくる。東側はビルがあるので展望は利かない。

実写だと位置関係がよくわかる。

首都高へのアプローチ部分。クルマで通過すると高さの感覚がわからない。

クロスエアタワーの回廊から南方向。

東方向、左が渋谷のビル群、煙突は山手線の線路脇にある清掃工場。こうして見ると東京タワーも結構存在感がある。

地上に降りて目黒川沿いに歩く。

こんな案内板があった。玉電の電停をイメージしたモニュメントがあるらしい。

クロスエアタワーの南側にあったけど、説明板もなくて、玉電を知らない人には単なる出っ張りと意味不明の2本線にしか見えないだろう。

ひととおり見終わったところで、昔の写真を引っ張り出して玉電を偲んでみよう。朝方は渋谷に向かう電車が数珠つなぎになっていた。ナショナルの看板があるビルの右にある上目黒氷川神社は玉電を眺める絶好の展望台だった。

その神社から渋谷方向を見たところ。この時代は邪魔物がなかった。

上目黒氷川神社は現在も同じ位置にある。

急な階段を上る。

今は東側にマンションが建ち、見晴らしは限られる。

大橋の電停。車庫は右手奥になる。

廃止を1月後に控えた昭和44年4月で、すでに一部のレールが撤去され、この年の6月から営業開始となる東名急行のバスが待機していた。








