大学の卒業式が1968(昭和43)年3月の20日頃で、31日までは学籍があるのを利用して学割を使った最後の旅行に出かけた。メインの目的地は九州だが、行き掛けには呉線でC59を撮影、本州に戻っても素直に帰京せず、3月27日に井笠鉄道、28日に下津井電鉄、さらに翌日は関西に寄り道している。

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この日(27日)は早朝に関門トンネルを通過して本州に戻る。下関の駅前で山陽電軌を数枚スナップしてから153系の急行「関門」に乗り、笠寺笠岡で途中下車。駅の下関寄りの跨線橋からカメラを構えるとそれほど待たずにこんな列車が到着した。先頭のホジ(車号不明)は京急擬きの塗色でピカピカ。その次がダブルルーフの客車という対比がおもしろい。

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カメラを少し左に振ると、貨車が留置されていた。

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最初のシーンはモノクロでも撮っている。

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ホームを見る。左が上りでおそらく1番線だろう。これの末端から井笠鉄道が発着している。今回、写真を見て気付いたのだが、井笠鉄道の線路を越えて左に国鉄の貨物ホームがある。ということはどこかに1067mmと762mmの平面交差があるはずだ。写真には写っていないからちょうど跨線橋の下あたりなのかも知れない。

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客車のデッキ。柵のデザインが良い味出している。

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貨車もまだ現役のようだ。

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荷重4t、自重3.25t、あまり積載効率はよくない。右端の車内には手ブレーキも見える。井笠鉄道には乗らず、山陽本線を上る。倉敷も素通りして岡山から宇野線に入り玉野の商人宿といった感じの旅館に泊まる。玉野市営はまったく眼中になかった。

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28日、下津井電鉄の撮影は児島から始まっている。車両はモハ55。ガソリンカーからの改造であることは一目瞭然だ。電車同士は自連だが、貨車牽引用にピンリンク式の連結器とバッファーを備えている。

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下津井は車庫があって構内は広い。モハ65のサイドビューが撮れた。

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下津井~鷲羽山の有名なΩカーブを歩いてみた。児島で見たモハ55が貨車を牽いてきた。

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カラーはコニカのポジ、カメラは旅行の直前に買ったオリンパスPEN-FTなのだが、ハーフ判のせいかザラッとした仕上がりになっている。

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折返しは単行で茶屋町に向かう。

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だいぶ高度が上がってきた。先頭はクハ5。電車はすべて総括制御なので終点でもトレーラーの付替えは行わない。

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同じ列車、ズームレンズなので少し引きつけられる。

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鷲羽山の展望台から。車両はクハ24-モハ103なのだが、見つかるかな。

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上の画像の山裾を回った向こう側になる。中央の大きな屋根の部分がボートレース場で、その付近に琴海駅がある。

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振り返れば眼下に下津井港が見える。

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茶屋町に向かう途中、児島でクハ24-モハ103と交換。

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児島~茶屋町間だが駅名不明。クハ5もガソリンカーからの改造でモハより全長が短い。

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茶屋町。ここも国鉄のホームに食込む形になっている。

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前面2枚窓で運転室は半室。ジャンパ連結器はあるけど空気管がない。

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入換えでホームから出てきたところを1枚。サハは元栗原電鉄でだいぶ短い。

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台車も写しておく。

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ポツンと置かれた貨車。

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ホワ7、井笠のホワフより少し大きめで荷重は6t。

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宇野線の列車も撮っておく。湘南色のクモユニ81は岡山配置の2両だけだった。

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旅客用はクモハ51、クハ68のほか、2扉のサハ48も2両配置されていた。

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流電のサロハを3扉化したサハ58050。サハ58の中でも一番の異端車といえる。このあと岡山から準急「鷲羽」で大阪に出て1泊、29日は近鉄、阪神などを撮影して帰京した。