9月29日、朝練で地下鉄中央線の400系を初撮りしたら、弁天町から環状線で天王寺に移動します。今回、大阪市内でJRに乗ったのはこの時だけです。
天王寺駅前の阪堺電車乗り場、時刻は10時を少し過ぎたところ。
600円の一日乗車券(てくてくきっぷ)を買う。1乗車230円だから3回乗ればモトが取れる。
浜寺駅前行きのモ601形に乗車。あべの筋を南下し、松虫の手前で専用軌道に入る。
東天下茶屋、まだあべのハルカスが見えている。
北畠から併用軌道になる。中学生らしい集団がぞろぞろ歩いているけど、遠足じゃないよな。
帝塚山の高級住宅街を抜け、帝塚山4丁目から専用軌道になる。
神ノ木で南海高野線をオーバークロスする。
住吉で恵美須町からの線路(中央奥)と合流する。斜めに横切り住吉公園に達する線路は2016年に廃止された。
住吉公園までの線路跡は駐車場になっている。
運転本数が激減した恵美須町行きが来た。28分間隔だから南海の汐見橋支線といい勝負だ。車両はモ601形。
北畠で擦れ違った1001(茶ちゃ)が戻って来たので、これで浜寺駅前まで乗り通す。安立町(あんりゅうまち)はこの先、あびこ道まで線路の西(右)側にアーケードの商店街が続いている。
あびこ道。車庫があり、日中はほぼ半数がここで折り返す。大阪市はここまでで、この先の大和川を渡れば堺市に入る。
綾ノ町から併用軌道になる。電停は綾ノ町だが、町名は綾之町。車両は講談社のラッピングの1101。
大小路。道路上といってもセンターリザベーションで区分されているから、実質的には専用軌道と変わらない。
1001形の日除けは簾(すだれ)風だった。
船尾~浜寺駅前間、南海本線をオーバークロスするため上り勾配にかかる。
浜寺駅前。晴れたのはいいけど暑い。ここからは気になった所で途中下車しながら大阪市内に戻る。
寺地町で降り、宿院まで歩く。ここだけちょっと洒落た上屋があり、かつて海水浴などで賑わった時代の建物をイメージしているらしい。付近には千利休屋敷跡や与謝野晶子の生家跡がある。
もう少し歩こうかと思っていたが、暑いので諦めて電車に乗る。綾ノ町の先(大阪寄り)で気になる商店街を見かけたので、次の高須神社で降りる。ここの読みは「たかすじんしゃ」で、今まで気付かなかったけど、なんと電停のすぐ向かいがその高須神社だった。気になる商店街は別稿で
そんなに寂れた感じはないが、鳥居に神社名を記した額がないし、社務所も人の気配がない。
大和川も降りるつもりだったが暑さでパスし、あびこ道で降りる。線路の東側はあびこ道商店街なのだが、あれれ、アーケードがなくなっている。
ここれは2018年9月の撮影。この時も営業している店は疎らだった。左角は代替わりしているが、右のファミリーマートは健在。13時を過ぎたのでここで昼食とする。
線路の西側、安立町の商店街はそこそこ賑わっている。
2018年に来た時より小綺麗になっている感じ。代替わりもあるようで、天井からの看板と実際の店名が違っている所も見受けられる。
併用軌道との境目の細井川で降り、住吉鳥居前まで歩く。ここの下りホームは上屋がない。
住吉鳥居前。阪堺はほとんどの車両が広告車で、一番のお得意さんがこの岡崎屋質店。モ351形とモ501形各1両、モ601形、モ701形各3両の計8両あり、デザインはずっと変わっていない。
線路跡を見に、南海の住吉公園まで行ってみた。高架下はショップ南海が入り、とろろ昆布作りを実演している店があった。
電車通りに面した薬屋。いつ見ても手書きの札で埋め尽くされている。
白浜のアドベンチャーワールドがスポンサーのモ701は、この日一番よく出会った。ところで問題、一見して同じように見えるモ601形とモ701形はどこが違う? 解答は一番最後に。
ここのあと、神ノ木で降りて電停の前後を撮影。下の南海高野線はスッピンになった6000系のトップナンバー編成が通過していった。上りなら難波から戻って来るのを待つが、下りなので戻りの時間が読めない。ちらっとでも見られたからよしとしよう。
一駅乗り、帝塚山4丁目から歩く。これはモ501形でスポンサーは桃山学院大学。
インスタ映えしそうな建物は住吉帝塚山郵便局。
モ351形。見た目はモ501形そっくりだが、モ501形がカルダン駆動なのに対し、こちらは木造モ101形の足回りを流用しているから吊掛式。モ101形のGE製モーターは弱め界磁付きで、駅間距離の長い東湊あたりでは60km/hくらいで突っ走った。現在はモ161形と同じモーターに取り換えられ、音はうるさい割りにスピードはそれほど出ない。
松虫のホーム脇にある喫茶店。2018年に見た時より綺麗になっている。
角度を変えればこんないたずらもできる。このまま天王寺に戻るのはまだ早いから、もう一度あびこ道まで戻り、本来の阪堺線である恵美須町まで乗ってみる。
住吉からの併用軌道は東玉出に向かってだんだん道幅が狭くなり、塚西と東玉出の恵美須町行き乗り場は安全地帯がない。電停は東玉出、道路の表示は玉出東。前方のガードは南海高野線で、左が岸里玉出駅になる。
恵美須町は交差点から後退し、道路(堺筋)から目立ちにくくなった。かつての駅跡にはインドアテニスコートができていた。
さびしくなった発車時刻表。基準が7分間隔なのでその4倍、28分ごとになる。
新世界でちょっと思い出のある場所を回り、新今宮駅前で踏切を渡るシーンを狙う。夕方になって電車を待つ人はそこそこ増えてきた。ここは今でもJRと南海が新今宮、地下鉄は動物園前で、かつては阪堺が南霞町と三者三様の駅名を主張していた。
やはり南海の6000系が気になり、新今宮から乗って住吉東に来てみた。17時半過ぎでどんどん暗くなってくる。
すっぴんの6000系はこなかったが、代わりにこんなのが撮れた。もう高野線への出稼ぎは終わっていると思っていたら、9月30日までだったようだ。少しブレているが見る人が見れば南海線ではないことはわかる。
神ノ木から乗って天王寺駅前に戻ってきた。夕方のラッシュでかなり乗降客は多い。
リニューアルして夜間の点灯が再開した通天閣。
あべのキューズタウンへの回廊から夜景を狙ってみる。時刻は19時、これで本日の撮影は終了し、地下鉄で難波に向かう。この日の歩数は2万歩を少し超えた。
問題の解答。モ701は完全な新車で、30kW×4のカルダン駆動、ブレーキは電気指令式なので、運転台は両手操作のワンハンドルマスコンを備えている。
モ601形はモ701形に続く増備で、台車、駆動装置は同じだから走行性能は同じ。しかし、制御装置とブレーキ装置をモ121形から流用しているので、HLタイプのマスコン、アナログ式のブレーキ弁を備えている。マスコンのノッチを刻む音や、ブレーキの排気音などで区別できるようになれば、一人前の阪堺ファンを名乗れる。
天王寺駅前の阪堺電車乗り場、時刻は10時を少し過ぎたところ。
600円の一日乗車券(てくてくきっぷ)を買う。1乗車230円だから3回乗ればモトが取れる。
浜寺駅前行きのモ601形に乗車。あべの筋を南下し、松虫の手前で専用軌道に入る。
東天下茶屋、まだあべのハルカスが見えている。
北畠から併用軌道になる。中学生らしい集団がぞろぞろ歩いているけど、遠足じゃないよな。
帝塚山の高級住宅街を抜け、帝塚山4丁目から専用軌道になる。
神ノ木で南海高野線をオーバークロスする。
住吉で恵美須町からの線路(中央奥)と合流する。斜めに横切り住吉公園に達する線路は2016年に廃止された。
住吉公園までの線路跡は駐車場になっている。
運転本数が激減した恵美須町行きが来た。28分間隔だから南海の汐見橋支線といい勝負だ。車両はモ601形。
北畠で擦れ違った1001(茶ちゃ)が戻って来たので、これで浜寺駅前まで乗り通す。安立町(あんりゅうまち)はこの先、あびこ道まで線路の西(右)側にアーケードの商店街が続いている。
あびこ道。車庫があり、日中はほぼ半数がここで折り返す。大阪市はここまでで、この先の大和川を渡れば堺市に入る。
綾ノ町から併用軌道になる。電停は綾ノ町だが、町名は綾之町。車両は講談社のラッピングの1101。
大小路。道路上といってもセンターリザベーションで区分されているから、実質的には専用軌道と変わらない。
1001形の日除けは簾(すだれ)風だった。
船尾~浜寺駅前間、南海本線をオーバークロスするため上り勾配にかかる。
浜寺駅前。晴れたのはいいけど暑い。ここからは気になった所で途中下車しながら大阪市内に戻る。
寺地町で降り、宿院まで歩く。ここだけちょっと洒落た上屋があり、かつて海水浴などで賑わった時代の建物をイメージしているらしい。付近には千利休屋敷跡や与謝野晶子の生家跡がある。
もう少し歩こうかと思っていたが、暑いので諦めて電車に乗る。綾ノ町の先(大阪寄り)で気になる商店街を見かけたので、次の高須神社で降りる。ここの読みは「たかすじんしゃ」で、今まで気付かなかったけど、なんと電停のすぐ向かいがその高須神社だった。気になる商店街は別稿で
そんなに寂れた感じはないが、鳥居に神社名を記した額がないし、社務所も人の気配がない。
大和川も降りるつもりだったが暑さでパスし、あびこ道で降りる。線路の東側はあびこ道商店街なのだが、あれれ、アーケードがなくなっている。
ここれは2018年9月の撮影。この時も営業している店は疎らだった。左角は代替わりしているが、右のファミリーマートは健在。13時を過ぎたのでここで昼食とする。
線路の西側、安立町の商店街はそこそこ賑わっている。
2018年に来た時より小綺麗になっている感じ。代替わりもあるようで、天井からの看板と実際の店名が違っている所も見受けられる。
併用軌道との境目の細井川で降り、住吉鳥居前まで歩く。ここの下りホームは上屋がない。
住吉鳥居前。阪堺はほとんどの車両が広告車で、一番のお得意さんがこの岡崎屋質店。モ351形とモ501形各1両、モ601形、モ701形各3両の計8両あり、デザインはずっと変わっていない。
線路跡を見に、南海の住吉公園まで行ってみた。高架下はショップ南海が入り、とろろ昆布作りを実演している店があった。
電車通りに面した薬屋。いつ見ても手書きの札で埋め尽くされている。
白浜のアドベンチャーワールドがスポンサーのモ701は、この日一番よく出会った。ところで問題、一見して同じように見えるモ601形とモ701形はどこが違う? 解答は一番最後に。
ここのあと、神ノ木で降りて電停の前後を撮影。下の南海高野線はスッピンになった6000系のトップナンバー編成が通過していった。上りなら難波から戻って来るのを待つが、下りなので戻りの時間が読めない。ちらっとでも見られたからよしとしよう。
一駅乗り、帝塚山4丁目から歩く。これはモ501形でスポンサーは桃山学院大学。
インスタ映えしそうな建物は住吉帝塚山郵便局。
モ351形。見た目はモ501形そっくりだが、モ501形がカルダン駆動なのに対し、こちらは木造モ101形の足回りを流用しているから吊掛式。モ101形のGE製モーターは弱め界磁付きで、駅間距離の長い東湊あたりでは60km/hくらいで突っ走った。現在はモ161形と同じモーターに取り換えられ、音はうるさい割りにスピードはそれほど出ない。
松虫のホーム脇にある喫茶店。2018年に見た時より綺麗になっている。
角度を変えればこんないたずらもできる。このまま天王寺に戻るのはまだ早いから、もう一度あびこ道まで戻り、本来の阪堺線である恵美須町まで乗ってみる。
住吉からの併用軌道は東玉出に向かってだんだん道幅が狭くなり、塚西と東玉出の恵美須町行き乗り場は安全地帯がない。電停は東玉出、道路の表示は玉出東。前方のガードは南海高野線で、左が岸里玉出駅になる。
恵美須町は交差点から後退し、道路(堺筋)から目立ちにくくなった。かつての駅跡にはインドアテニスコートができていた。
さびしくなった発車時刻表。基準が7分間隔なのでその4倍、28分ごとになる。
新世界でちょっと思い出のある場所を回り、新今宮駅前で踏切を渡るシーンを狙う。夕方になって電車を待つ人はそこそこ増えてきた。ここは今でもJRと南海が新今宮、地下鉄は動物園前で、かつては阪堺が南霞町と三者三様の駅名を主張していた。
やはり南海の6000系が気になり、新今宮から乗って住吉東に来てみた。17時半過ぎでどんどん暗くなってくる。
すっぴんの6000系はこなかったが、代わりにこんなのが撮れた。もう高野線への出稼ぎは終わっていると思っていたら、9月30日までだったようだ。少しブレているが見る人が見れば南海線ではないことはわかる。
神ノ木から乗って天王寺駅前に戻ってきた。夕方のラッシュでかなり乗降客は多い。
リニューアルして夜間の点灯が再開した通天閣。
あべのキューズタウンへの回廊から夜景を狙ってみる。時刻は19時、これで本日の撮影は終了し、地下鉄で難波に向かう。この日の歩数は2万歩を少し超えた。
問題の解答。モ701は完全な新車で、30kW×4のカルダン駆動、ブレーキは電気指令式なので、運転台は両手操作のワンハンドルマスコンを備えている。
モ601形はモ701形に続く増備で、台車、駆動装置は同じだから走行性能は同じ。しかし、制御装置とブレーキ装置をモ121形から流用しているので、HLタイプのマスコン、アナログ式のブレーキ弁を備えている。マスコンのノッチを刻む音や、ブレーキの排気音などで区別できるようになれば、一人前の阪堺ファンを名乗れる。