真岡鐵道からの帰り道、まだ陽は高いし、18きっぷなんだから最短経路で戻る必要はない。小山ではなく友部に出て、常磐線回りで東京に戻ることにします。

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13:51下館着。反対側には関東鉄道常総線の気動車が止まっているが、今日は乗らないで見るだけにしておく。

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次の友部行きは14:29発。昼食をとる時間は十分にある。

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駅舎の内部。ここは筑西市になるんだ。筑波山の西という意味なのだろう。

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こぢんまりとした駅舎。駅前通りを数分歩き、コンビニがないことを確認して戻る途中、ビルの1階にデイリーヤマザキを発見し、パンを買う。JAMの有明でもそうだったが、デイリーヤマザキの店はなぜかわざわざ目立ちにくい造りにしているように思える。

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水戸線は交流電化だから、電車はすべてE531系の5連。下館を出でしばらくは右側の車窓に筑波山が見える。

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15:13友部着。常磐線の土浦行きは左端の1番線から15:16発と少々せわしい。

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土浦では3分の接続で上野行きに乗継ぎ。ひたち野うしくで特急「ひたち18号」を待避する。ここはつくば万博で臨時駅ができた所だ。このまま乗っていれば上野に17:04着だが、待てよ、ふたつ先の龍ヶ崎市からは関東鉄道竜ヶ崎線が出ている。ちょうどいいチャンスだから初乗りしてみよう。
*竜ヶ崎線については ぼっちぼち様のブログで詳しく紹介されている。

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JRの駅名が龍ヶ崎市になったのは割りと最近のことで、それまでは佐貫だった。内房線に佐貫町という駅があって紛らわしいというのも改称の理由のひとつになっている。しかし、接続する関鉄竜ヶ崎線は終点が竜ヶ崎だから、JRに合わせて龍ヶ崎市とするわけにもいかず、今も佐貫としている。おまけに漢字表記は龍ヶ崎市と竜ヶ崎の使い分けがあり、余所者には非常にややこしい。

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上の写真の左側には関鉄独自の改札口もある。

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16:30発の竜ヶ崎行きとなる列車が到着。

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左の常磐線ホームとの間には微妙な空きがある。その昔は島式ホームだったのかも知れない。

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キハ2001の車内。エンジン音がなければ電車と変わらない。

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竜ヶ崎線は佐貫、入地(いれじ)、竜ヶ崎の3駅で、ホームはいずれも竜ヶ崎に向かって右側にある。そのため車両の運転台もすべてホーム側に設置されている。これは佐貫寄り。

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こちらは竜ヶ崎寄り。

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入地は唯一の中間駅。

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入地を過ぎたあたり。パラパラと住宅は見えるが、市街地というほどではない。

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運転台の横にこんな表示機があった。地元の人に無用の長物だ。

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佐貫から4.5km、所要7分で竜ヶ崎に到着。ホームは左側で、ここも島式の1線を撤去したのがよくわかる。右側の3線が車庫と検修線を兼ねている。

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駅舎。バスが横付けできるようだ。

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定番の建物もある。

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竜ヶ崎線は常総線と線路がつながっていないから、重検、全検もここで行う。キハ2002もよく見れば足回りは外されていて、外したエンジンや台車はトラックで水海道の工場に送られるそうだ。

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光線が悪いが、床下はすけすけなのがよくわかる。

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竜ヶ崎線の配置車両はキハ2000形2両とこのキハ532形1両の計3両。予備の予備でめったに走ることはないが、1世代前の形態、塗色を維持する車両として人気がある。

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前照灯がなんとなく小田急っぽい。

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ホーム端に近い踏切から佐貫行きの後追い。完全な逆光だけど、ここまで来たという証拠写真にする。

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駅舎に戻る。次の発車は17:10。

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駅舎内を巡回していた猫。首輪が付いているから飼い猫なのだろう。人なつこくてスリスリしてきたが、何もくれないとわかったら外に出ていった。

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龍ヶ崎市はコロッケのまちなのだそうだ。

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そうか、車両の吊り手にくっついていたのはコロッケなんだ。

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小腹も減ったし、待ち時間に食べてみるか。すぐ近くの喫茶店でも売っているようだし・・・。な、な、なんと、コロナ感染者が出たから今週は休業だって。

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そろそろ列車が到着する頃。なんとなくこんなのを見ていると、えっ、通勤定期がたった4.5kmで1ケ月8,800円もするのか。JRなら高円寺~四ッ谷間(9.5km)で5620円なのに。

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17:17佐貫到着。これで関東鉄道は全線乗ったことになる。昭和40年代頃までの関東鉄道(当時は常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道)は古典蒸機と怪しげな気動車の宝庫で、それを目当てに訪れる「鉄」も多かったのだが、鉄道は電化しているものという認識の私には猫に小判の存在だった。