モハメイドペーパーの      何が出てくるか 2.2

かなり「鉄」分が多めの内容になっています。 バックナンバーはこちらから http://jorc.livedoor.blog/   http://jorctk.cocolog-nifty.com/

昔の写真

都電と人力車、昭和43年の築地界隈

咳はほとんど治まり、夜もぐっすり眠れるようになった。しかし、何でもない時は気付かなかったけど、石油ファンヒーターは喉に非常によくないことがわかった。朝食がすんで自分の部屋に入ると室温は10度以下、ファンヒーターで16度くらいまで暖めるのだが、その温風を吸い込むとてきめんに喉がいがらっぽくなってくる。これではせっかく薬を飲んでも効果がないので、暖房はエアコンに切り換えた。エアコンのすぐ下がパソコンデスクなんで、頭はぼうっとするくらいになっても足先がなかなか暖まらない。もう少しで新しい家に入れそうだから、それまでなんとか我慢しよう。

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はい、今日のトップ写真はこれ。昭和43(1968)年8月に撮影した晴海通りの築地電停で都電と人力車の顔合わせ。人力車を引いているのはそこそこのおじさんで、お世辞にも颯爽とはいえないけど、この時代にまだ人力車が残っていたのは貴重といえる。今の浅草のような観光用ではなく、地元の料亭などの客を相手に細々と営業していたようだ。噂には聞いていたけど特に狙ったわけではなく、咄嗟にカメラを構えたから写っているだけでよしとする。

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暑いさなかに銀座から築地、月島界隈を歩き回っていたのは、9月末に青山営業所が廃止になるからで、この日は9系統がターゲットだった。新佃島で折り返す9系統だが、後方に渡り線が見えないから、月島方向から到着したところか。

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勝鬨橋を渡る7500形。電車の先(右)が可動部分になる。青山の7500形は時間帯で運用を分けていたのか、来る時はこれでもかと来て、来なくなるとまったく姿を見せなかった。

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築地寄りから歌舞伎座をバックに入れるのは定番の構図といえる。

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三原橋の電停から。交差しているのは昭和通り。

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振り返って銀座方向。これを見れば誰でも銀座4丁目とわかる。

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数寄屋橋から。日劇のネオンは工事中だった。私は社会人1年生になっていたが、このあと昭和47年までは都電を追い続けていた。

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寒波は一進一退のようだけど、我が家の向かいのマンションの入口にある梅はもう咲き始めている。

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高さ1mほどなので写真は撮りやすい。満開になる頃には寒さも緩んでいるだろう。



新子安で見た珍列車

立春を過ぎたら寒波襲来だとか。私は先週後半から時々咳が出るようになり、かといって喉が痛いわけではないし熱や寒気もない。中途半端な状況が続くので昨日医者に行き、薬を服用している。一昨日あたりから目が痒くなってきたのは花粉の影響だろう。鼻も少し詰まり気味になってきた。寒波が抜ければ春めいてくるだろうから、それまでなんとか乗り切ろう。

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ということで今日の写真はこれ。1966(昭和41)年11月24日に新子安で撮影したもの。新子安といえば有名なお立ち台で、私も時々巡回している。線路が6本並ぶのは今も同じだけど、この頃は中2本が東海道線と横須賀線の共用、左の2線は貨物線だった。写真の列車は横須賀線の70系6連の頭にクモニ13がついたもので、臨時ではなく定期の運用だった。ちょうど昼頃だから新聞輸送ではない。クモニが入場等の時は大船区のクモハ40が使われたこともあったようだが、それは見ていない。クモニの運転室は片隅式で狭いことから乗務員の評判はよくなかった。

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これはたまたま出会った予想外の拾いもの。大井工場の出場試運転列車で、先頭の101系は2両目が低屋根の800番代、以下、153系、101系か103系のサハ2両、後ろの4両は113系だろう。電動車のギア比が三者三様で異なるが、試運転だから問題なしということか。

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おまけは現在の新子安。貨物線が横須賀線に転用され、湘南新宿ラインや成田エクスプレスも走る。ホーム端にあった踏切は廃止されている。












初めてのデジカメ画像

まずは今日の1枚を。

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どんだけヒマなんだ、といわれそうだけど100%否定はできない。
で、ヒマに任せてハードディスクから発掘された画像を並べてみた。

私のデジカメ元年は2000年、仕事仲間の何人かがデジカメを使い始めたので、勉強かたがた手を出してみようという気になった。黎明期のデジカメは30万画素くらいで、画質は新聞の写真くらいのレベルだった。21世紀になる直前の頃には、なんとか使い物になりそうな100万画素クラスが出揃い、値段も10万円を切るくらいになっていた。

京セラ 1300DG
初めて手にしたデジカメは京セラの1300DGという機種。フィルム時代からのSAMURAIシリーズのデザインを受け継ぎ、レンズは45~135mm相当でボディ外には出っ張らない。130万画素で定価が89,800円くらいだったが、まもなく200万画素の新型が出るので大幅に値引きされ、19800円ほどの値札が付いていたので、財務担当者の了承を得て購入となった。今のカメラに比べれば起動に4秒ほどかかり、AFは遅いし電池(単3×2)はすぐ減るけど、当時のデジカメはそんなものだった。

トロッコDC外観 00.5.28
そのカメラで撮った画像の一部がハードディスクに残っていた。JR東日本の仙台支社がキハ48をトロッコ客車に改造した「びゅうコースター風っこ」で2000年5月28日に品川駅で一般公開された。車号はキハ48 547とキハ48 1541で改番はされていない。

トロッコDCサイド 00.5.28

トロッコDC連結面サイド 00.5.28
サイドはドアが1箇所ずつ埋められている。

トロッコDCロゴ 00.5.28
前面と側面にロゴが入る。

トロッコDC車内 00.5.28
車内。室内灯がランプ風になっている。

トロッコDC椅子 00.5.28
座席は木製。30分も座っていると尻が痛くなりそうだ。後に冬でも使えるよう、本格的な窓が設けられている。

トロッコDCイベントステージ 00.5.28
ドアを埋めた所がイベントスペースになっている。この車両は塗色の変更もなく、今もまだ現役なのは驚異的といえる。

クハE231-901 L賞プレート付き前面(2) 00.6.30お茶の水
これは2000年6月30日撮影。E231系が鉄道友の会のローレル賞を受賞し、記念のマークが取り付けられた。

クハE231-901 L賞前面プレート 00.6.30
遠景だとローレル賞の文字がよく見えない。

205・209 02.04.23
2002年4月23日撮影。この頃は205系と209系が主力だった。

E231秋葉原 02.04.23
同じ日、デビューして間もないE231系を撮影している。
この年に300万画素のオリンパスC-3100に買い換え、京セラの1300DGはお役ご免になった。


1枚の写真から

1枚の写真からその背景を紐解く、といっても「兵動大樹の今昔さんぽ」をパクったわけではない。

PC280204 府中
はい、本日の写真、おくれ。て、丸っきりパクっとるやないか。たまたまHDの京王というホルダーに入っていたもので、府中というタグがついている。ネガを探せば日付もわかるはずだけど、それよりも謎解きをする方がおもしろそうだ。
まず写真からわかることは、
1.下り列車で左は5000系の特急(だろう)、右は2010系の普通。
2.5000系は厳密には5100系で、クーラーが6個タイプだから5122編成か5123編成になる。
3.特急は7連で最後尾車はホームにかかっていない。
  さらに歴史を調べると、
4.1968(昭和43)年11月1日から7連運転を開始。
5.5122・5123編成は1969年2月に竣工
6.府中駅は1974年に下りの待避線を撤去してホームを延長
ということがわかった。従ってこの写真の撮影は5と6の間、1969年2月以降、1974年までということになる。ホームに立っている人の服装から季節は夏。もうひとつ、私は1973年5月に結婚してから2年ほど、つつじヶ丘に住んでいたから、おそらくその時期に撮影したものだろう。


フジカハーフの試し撮り

フジカハーフは名前のとおり、フジフイルムから発売されたハーフサイスのカメラで、国産のハーフサイスカメラでは後発にあたる。昭和38(1963)年の発売で、私は昭和42(1967)年2月にモータードライブ付きの中古品を買っている。

フジカハーフ

 ハーフサイズとしてはやや大型、モータードライブといってもゼンマイ巻きのスプリンクモーターで、18枚連写できる。ピント合わせは目測、プログラム式EEでマニュアル露出はできない。レンズは広角だから普通に撮っていればまずピントは外れない。シャッターは1/300秒が最速だから走りものは苦しいが、経済性重視でカラーポジ撮影に役立ってくれた。買って最初の試し撮りはモノクロフィルムで、現像が悪かったのかまともに見られるコマは半分くらい。しかし、今見るとかなり貴重なシーンも写っているので、できの悪いのは承知でアップしてみることにした。

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1枚目は国鉄101系の車内。運転室の仕切り窓が大きくて、荷物棚の前に掴み棒があるから、車号でいったらおおよそ50番以降になるだろう。

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京王線の明大前、2010系で車号は2064と読める。登場時は小型車のサハを挟んでいたが、2700系から改造のサハに代わっている。〇囲みの方向板は新宿~府中。トンネル形がつつじヶ丘、四隅を切った八角形が高幡不動だった。

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下のホームで井の頭線の3000系クハ3760。非冷房で台車はすべてPⅢ。まだ京王線にも冷房車は登場していない。

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小田急東北沢、左はクハ1962、通過しているのはHE車で冬の日曜に運転されていた猪電車。

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新宿駅西口の地下から。ここはなんとなくでも撮ってみたくなるアングルだが、うまくまとめるのは難しい。正面のビルは小田急百貨店で現在のハルク。

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夕暮れ時を狙ってみた。左の小田急百貨店は建設中。

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小田急のホーム。まだ1番線が特急の乗車ホームだった。春に向かって向ヶ丘遊園のフラワーショーのポスターが出ている。

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このあたりからネガの調子がおかしくなる。三鷹に停車中のクモニ13。

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西武鉄道多摩川線多磨墓地前、現在の多磨で方向板から武蔵境~多磨墓地前間の区間運転であることがわかる。電動車はモハ311形で張上げ屋根車もあった。クハは20m車のようにも見える。

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車庫がある北多磨(現在の白糸台)、貨物営業が行われていて、E11が待機している。

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トム1001形は多摩川線専用。

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京王線に乗換えて聖蹟桜ヶ丘に出たようだ。調布~京王八王子間のローカルは2000系の2連。

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5000系6連の特急。パンタがPS13だから第1~6編成の狭幅車になる。

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デハ2600ークハ2770のローカル。2600と2700の混結はこの時期によく見られた。

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荷電(デニ201)もきた。

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神田の中央線ホームから撮った京浜東北線の後追い。白地の方向板が目立つ。 

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新宿で165系の急行「アルプス」。モハ164の低屋根部分を狙った。

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小田急南新宿、2200形の新聞電車。第2便だから15時過ぎになる。

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井の頭線永福町でデニ101。

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京王線明大前、デハ2600ークハ2770で最後尾もデハ2600のようだ。

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最後のコマは地下鉄日比谷線南千住。試し撮りのためにここまで行ったのか。

昭和42年2月だから私は大学の3年、後期のテストも終わって一番のんびりできる時期だった。自分でやっていたフィルム現像もまだこの頃は試行錯誤の時代で、まともに処理していればこれらの写真の何枚かは商売物になっていたかも知れない。


プロフィール

モハメイドペーパー

1946(昭和21)年1月生まれ、男、AB型。中央線(JR)の沿線に生息しているので、鉄道は複線で電化され、電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道関係のライターが本職となり、現在も細々ながら現役。趣味はカメラいじりと模型製作。

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