モハメイドペーパーの      何が出てくるか 2.2

かなり「鉄」分が多めの内容になっています。 バックナンバーはこちらから http://jorc.livedoor.blog/   http://jorctk.cocolog-nifty.com/

都電

駆け込み、都電杉並線パネル展

杉並区立郷土博物館で開催中の都電杉並線パネル展、すでにブログでお馴染みのメンバーは見に行かれているけど、私は引っ越しでドタバタしていて気がついたら最終日がこの20日に迫っていた。こりゃいかん、朝飯すませたら早速行動開始だ。

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その気になれば歩いてでも行ける距離だけど、高円寺駅南口から永福町行きのバスを利用する。ご覧のようなミニバスが1時間に4本、京王バスと関東バスの相互運行になっている。

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車内を最後部の座席から撮影。11人分の座席がある。

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和田堀公園で下車。野球場に沿って歩き、大宮橋で善福寺川を渡ればすぐ。

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長屋門が入口になっている。本来の屋根は藁葺きだった。

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その内部(道路から見て左側)。機織り機と糸車などが置かれている。このあたり、昔は養蚕も盛んだった。

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博物館は2棟が廊下でつながっている。

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観覧料(入館料)は100円で年寄りの割引はない。まぁこの値段なら必要ないだろう。

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お目当てのパネル展は2階。

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撮影者の道村博さんは京王電鉄に勤務され、私は鉄道模型を通じて多少のお付き合いがあった。

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杉並車庫は現在もバスの車庫として使用されている。奥行きが長く、路面電車の車庫ではお馴染みのトラバーサーはなかった。

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廃止直前に撮られた写真が多いが、なぜか2500形が写っているのはこの1点だけだった。

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実は常設展2の「昭和のくらし」が興味深い。テレビの形から昭和30年代前半の想定だろうか。足踏み式のミシンは実家にもあった。

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この時代、柱時計は珍しくなかった。レコードプレーヤーは単独のものは少なく、スピーカーと一体で電蓄と呼ばれていた。電話も一般家庭に普及したのは東京オリンピック(昭和39年)の頃からだった。

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台所。昭和30年代前半くらいの設定だとすると、ガス台に乗っている鍋がちょっと新し過ぎるような気もする。

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右は氷の冷蔵庫。上段に氷を入れていた。カツオブシ削りは私も使ったことがある。

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ローラー式の絞り器がついた洗濯機。シャツなんかは厚みをなるべく均一にしないと、ボタンを割ってしまうことがあった。

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風呂場はちょっとピントが外れた。風呂桶は2層で上がり湯は右側の小さい方から汲み出した。

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ヘチマなんて今の若い人は知らないだろうな。

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これはネズミ捕りなのだろうか。中にエサを置き、上から入ると出られないという構造のようだ。角形で中のエサを取ると連動したバネ仕掛けで入口の扉が閉まるというタイプは見た覚えがある。

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屋外に置かれていたゴミ箱。ほとんどは木製で、コンクリート製は高級品?。

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古民家は移築したもので、原型の屋根は藁葺き。

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内部、天井は張っていない。冬は寒かっただろう。


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雨戸の内側は障子だけ。これで寒さを凌げたのか。カミサンの古い実家(一ノ関)もそうだったとか。
1時間ほどで見終わったが、100円にしてはそこそこの見応えがあった。

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善福寺川に沿った桜はピークを過ぎたが、八重桜が見頃になっている一画があった。

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前を通りかかったので大宮八幡を参拝。永福町まで歩こうかと思ったが、方南通りでタイミングよく中野駅行きのバスが来たのでそれに乗る。車内でスマホの地図を開き、ポインターの動きを見ているのはなかなかおもしろかった(なにせ初心者なので)。



都電5000形を偲ぶ

新宿歴史博物館にある都電5000形のレプリカに関連して、その現役時代の写真を探してみた。

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1967年撮影の2次形。窓桟がほぼ上下等分で台車はD14。中央のやや幅が広い窓3個分の所に両開き扉があった。これを埋めた以外は原型の面影を留めている。

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こちらは1次形で、ぼっちぼちさまが撮影されている張上げ屋根タイプ。扉を前・中としたのでかなり原型とは印象が異なる。局工場の改造で大栄車両による改造は雨樋位置が変更されていない。そちらの写真も撮っているはずだけど、データ化されていなくて、すぐには出てこなかった。
 5000形は14m級で幅も2.4mと都電としては広く、走れる区間が限定される。実際に大久保車庫に配置され、11番(新宿駅前~月島)と12番(新宿駅前~両国)専用となっていた。

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やっと寒波は北に退くようだけど、この1週間は寒かった。石油ファンヒーターは喉に悪いので使えず、エアコンだけでは足元が暖まらない。パソコンデスクをできるだけエアコンから離し、吹出口にダンボールを貼って温風が足元に届くようにしてみたが、思ったほどの効果はなかった。

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見てくれなんか気にせず、もう1枚貼ってみる。これも期待どおりの結果にはならず、右側を剥がして左側だけにしたのが意外とよい結果になった。

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反対側の欄間にはこんなファンを引っかけ、暖気を下に誘導する。これで昼過ぎにはなんとか足元にも暖かさを感じるようになった。まぁ、明日(26日)からは無用の長物になりそうだし、週末には新居に移れる目処もついた。やれやれ。







都電と人力車、昭和43年の築地界隈

咳はほとんど治まり、夜もぐっすり眠れるようになった。しかし、何でもない時は気付かなかったけど、石油ファンヒーターは喉に非常によくないことがわかった。朝食がすんで自分の部屋に入ると室温は10度以下、ファンヒーターで16度くらいまで暖めるのだが、その温風を吸い込むとてきめんに喉がいがらっぽくなってくる。これではせっかく薬を飲んでも効果がないので、暖房はエアコンに切り換えた。エアコンのすぐ下がパソコンデスクなんで、頭はぼうっとするくらいになっても足先がなかなか暖まらない。もう少しで新しい家に入れそうだから、それまでなんとか我慢しよう。

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はい、今日のトップ写真はこれ。昭和43(1968)年8月に撮影した晴海通りの築地電停で都電と人力車の顔合わせ。人力車を引いているのはそこそこのおじさんで、お世辞にも颯爽とはいえないけど、この時代にまだ人力車が残っていたのは貴重といえる。今の浅草のような観光用ではなく、地元の料亭などの客を相手に細々と営業していたようだ。噂には聞いていたけど特に狙ったわけではなく、咄嗟にカメラを構えたから写っているだけでよしとする。

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暑いさなかに銀座から築地、月島界隈を歩き回っていたのは、9月末に青山営業所が廃止になるからで、この日は9系統がターゲットだった。新佃島で折り返す9系統だが、後方に渡り線が見えないから、月島方向から到着したところか。

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勝鬨橋を渡る7500形。電車の先(右)が可動部分になる。青山の7500形は時間帯で運用を分けていたのか、来る時はこれでもかと来て、来なくなるとまったく姿を見せなかった。

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築地寄りから歌舞伎座をバックに入れるのは定番の構図といえる。

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三原橋の電停から。交差しているのは昭和通り。

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振り返って銀座方向。これを見れば誰でも銀座4丁目とわかる。

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数寄屋橋から。日劇のネオンは工事中だった。私は社会人1年生になっていたが、このあと昭和47年までは都電を追い続けていた。

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寒波は一進一退のようだけど、我が家の向かいのマンションの入口にある梅はもう咲き始めている。

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高さ1mほどなので写真は撮りやすい。満開になる頃には寒さも緩んでいるだろう。



白鳥橋の都電軌道が遺構ではなかった頃

 橋の改修工事でアスファルトを剥がしたら都電のレールが出てきて話題になった白鳥橋。先月は見学会が行われ、OER3001さまも見に行かれたようだ。その白鳥橋近辺で実際に都電が走っていた頃のネガが見つかったので、当時を偲んでみたいと思う。
*1968(昭和43)年8月撮影、残念ながら白鳥橋そのものの写真は撮っていない。

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大曲の電停を飯田橋寄りから見たところ。道路は目白通りで、15系統は左に曲がって江戸川橋~早稲田から高田馬場駅に至る。白鳥橋はこの右にあり、奥の電車は橋を渡ってきた39系統の早稲田車庫行き。
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橋の手前で信号待ちの15系統。右の信号機の奥にポイントを切り換える操作塔が見える。

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少し引いた位置で、安藤坂に向かって分岐するレールがわかる。道路の奥が神田川、目白通りは拡幅工事が行われている。

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安藤坂を下り切って白鳥橋に向かう。その昔、ブレーキが効かずに暴走した電車がこのカーブで横転する事故があった。

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坂の途中。ここを登り切ると春日通りに合流し、その奥に伝通院がある。左の電柱の広告は凸版印刷。

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春日通りもまだ道幅が狭い。16系統は大塚駅から錦糸町までで、同じ大塚営業所の17系統(池袋駅前~文京区役所前)も走っていた。15・39系統を受持つ早稲田営業所はこの年の9月29日付けで廃止されている。

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溝付きレールは荒川線の向原~東池袋4丁目間に現存する。手前の道路と交差する部分が溝付きレールで、このほかにも使用している箇所があるかも知れない。




プロフィール

モハメイドペーパー

1946(昭和21)年1月生まれ、男、AB型。中央線(JR)の沿線に生息しているので、鉄道は複線で電化され、電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道関係のライターが本職となり、現在も細々ながら現役。趣味はカメラいじりと模型製作。

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