現在は文京区本駒込4丁目になっているあたりはその昔は神明町と呼ばれていて、1971(昭和46)年3月までは不忍通りに都電が走り、神明町車庫がありました。都電廃止で車庫跡は都営住宅、勤労福祉会館、公園などになり、往時を偲んで6063と乙2が保存されているというのは知っていたものの、なかなか見に行く機会に恵まれませんでした。
昨年1月、chitetsuさんのブログで公園の整備が行われていることを知り、やっと重い腰をあげて現地に行ってみました。
2022年1月14日、駒込駅から歩いて20分くらい。工事中だから公園の中には入れない。案内板には2023年2月頃に完成とある。
柵の隙間から6063と乙2が見えた。chitetsuさんの訪問から3日後だが車両の位置が変わり、6063は少し綺麗になっている。
乙2は台車とビューゲルが外されている。どこかで整備されているのだろうか。
公園のほぼ全景。車両は左側に置かれるらしい。年が明け、公園の整備は終わったはずで、気にはなっていてもなか足が向かない。そのうち、chitetsuさんの2度目のレポートが9月にアップされた。「まだ暑いから涼しくなったら行ってみます」とコメントを入れ、実際には11月1日にやっと2度目の訪問となった。
現地へは田端からの方が多少近い。この坂を下り動坂下で不忍通りに右折する。
不忍通りではこんな幟が目に付いた。
道端に小さな祠があり、その脇に説明文がある。
ふ~ん、知らんかった。
勤労福祉会館は北向きで、公園は南側になる。
建物の隙間から、おっ、いるいる。
立派な屋根の下に鎮座している。これなら長持ちしそうだ。左は電停のポールで、神明都電車庫跡公園と書かれている。
車両は敷地の西側に並んでいる。
12時近いから側面に陽は当たらない。金網も邪魔だが保安上から仕方ないだろう。
車両の説明板。間違いはないようだ。
乙の側から。午前中の早い時間に来れば順光になるか。
乙2は運転台が見える。空気ブレーキがないから圧力計もない。
金網越しながら軸箱にはブリルの文字が確認できる。
乙の顔が見える角度から。
真横から。
公園の全景。人は少なかった。これだけではchitetsuさんの二番煎じだから、神明町車庫が現役の頃の写真を探してみた。
廃止を半月後に控えた1971(昭和46)年2月28日に撮影。車庫の建物は煉瓦造りで年代を感じさせる。20番(江戸川橋~須田町)と40番(神明町車庫前~銀座七丁目)の2系統を受持ち、40番は1967年12月9日限りで廃止されている。
中学生の頃、20番の行先である江戸川橋は江戸川の近くと勘違いしていて、かなりの距離がありそうだからぜひ乗ってみようと思っていた。江戸川橋が神田川にかかる橋と知ったのは、20番が廃止されてしばらくたってからになる。
トラバーサーは一番奥にあり、6000形が乗ると車体がはみ出る。壁際でカメラを構えていると電車との隙間はやっと1人分くらいだった。
庫内には無蓋ボギー車の乙1001がいた。銀座線の廃止で三田車庫から転属したもの。
池之端2丁目。バックにモノレールの桁が見える。
上野広小路の賑わい。横切っているのは大塚車庫の16番。
40番はあまり馴染みがなく、最終日にも来たから撮った程度。
1975年頃、荒川車庫で撮影した乙2。駒込車庫にいて、廃止後、荒川車庫に移った。その時の回送は終電後に前後を6000形で挟むようにして運転したそうだ。
昨年1月、chitetsuさんのブログで公園の整備が行われていることを知り、やっと重い腰をあげて現地に行ってみました。
2022年1月14日、駒込駅から歩いて20分くらい。工事中だから公園の中には入れない。案内板には2023年2月頃に完成とある。
柵の隙間から6063と乙2が見えた。chitetsuさんの訪問から3日後だが車両の位置が変わり、6063は少し綺麗になっている。
乙2は台車とビューゲルが外されている。どこかで整備されているのだろうか。
公園のほぼ全景。車両は左側に置かれるらしい。年が明け、公園の整備は終わったはずで、気にはなっていてもなか足が向かない。そのうち、chitetsuさんの2度目のレポートが9月にアップされた。「まだ暑いから涼しくなったら行ってみます」とコメントを入れ、実際には11月1日にやっと2度目の訪問となった。
現地へは田端からの方が多少近い。この坂を下り動坂下で不忍通りに右折する。
不忍通りではこんな幟が目に付いた。
道端に小さな祠があり、その脇に説明文がある。
ふ~ん、知らんかった。
勤労福祉会館は北向きで、公園は南側になる。
建物の隙間から、おっ、いるいる。
立派な屋根の下に鎮座している。これなら長持ちしそうだ。左は電停のポールで、神明都電車庫跡公園と書かれている。
車両は敷地の西側に並んでいる。
12時近いから側面に陽は当たらない。金網も邪魔だが保安上から仕方ないだろう。
車両の説明板。間違いはないようだ。
乙の側から。午前中の早い時間に来れば順光になるか。
乙2は運転台が見える。空気ブレーキがないから圧力計もない。
金網越しながら軸箱にはブリルの文字が確認できる。
乙の顔が見える角度から。
真横から。
公園の全景。人は少なかった。これだけではchitetsuさんの二番煎じだから、神明町車庫が現役の頃の写真を探してみた。
廃止を半月後に控えた1971(昭和46)年2月28日に撮影。車庫の建物は煉瓦造りで年代を感じさせる。20番(江戸川橋~須田町)と40番(神明町車庫前~銀座七丁目)の2系統を受持ち、40番は1967年12月9日限りで廃止されている。
中学生の頃、20番の行先である江戸川橋は江戸川の近くと勘違いしていて、かなりの距離がありそうだからぜひ乗ってみようと思っていた。江戸川橋が神田川にかかる橋と知ったのは、20番が廃止されてしばらくたってからになる。
トラバーサーは一番奥にあり、6000形が乗ると車体がはみ出る。壁際でカメラを構えていると電車との隙間はやっと1人分くらいだった。
庫内には無蓋ボギー車の乙1001がいた。銀座線の廃止で三田車庫から転属したもの。
池之端2丁目。バックにモノレールの桁が見える。
上野広小路の賑わい。横切っているのは大塚車庫の16番。
40番はあまり馴染みがなく、最終日にも来たから撮った程度。
1975年頃、荒川車庫で撮影した乙2。駒込車庫にいて、廃止後、荒川車庫に移った。その時の回送は終電後に前後を6000形で挟むようにして運転したそうだ。