世田谷美術館で開催されている「東急暮らしと街の文化」展、もうブログ仲間の何人かに紹介され、二番煎じどころか出涸らしになって今さらの感はあるけど、21日に行ってみた。

美術館は環八沿いの砧公園内にあり、小田急や東急田園都市線の駅からは微妙に遠い。私は小田急利用が楽なので、千歳船橋から歩くことにした。地図で見た限りでは30分くらいで行けるだろう。

環八に出た所で「すみれば自然庭園」が目についた。こういう公園は無視できないのでちょっと寄り道していく。

そんなに広くはなく、元は個人のお屋敷だったような感じ。

その向かい側にある建物は葬儀場のメモリードホール。南に向かって歩くと外車のディーラーが軒を並べている。

右手に見えるのはNHK技術研究所。小学校の低学年の頃、父親にくっついて5月の一般公開にいった覚えがある。当時はせいぜい3階建てくらいの建物だった。

世田谷通りと交差する所が三本杉陸橋。交通情報でよく耳にする地名だ。

駅から30分くらいで砧公園の端っこに到着。

手前に清掃工場、世田谷市場があり、美術館は赤丸の位置になる。

初めてだけどすでに見慣れた感じの看板があった。入口は右で、バックの建物は世田谷市場になる。シニア料金1200円を払って入館。

回廊部分に置かれた台車の模型。個人的にはこれが一番見たかった。住友金属のKS33は小田急でも使っているけど、東急では枕バネをオイルダンパー付きのコイルバネに改造している。

5000系用のTS301。

直角カルダンの構造がよくわかる。横梁には天賞堂の銘板が付いていた。

7000系のPⅢ台車。こんなのをしつこく撮影しているのは私だけだった。

平日の昼間にしては人が多い気がする。

開業時の目黒駅。この時代からデトはいたのか。

地平時代の蒲田駅。昭和41年に撮影した時もまだ地平だったはずだが覚えがない。

溝の口は長津田延長開業の当日なのか。駅に併設のストアは東急ストアではなく東光ストアだった。地元の高円寺にもあったな。

帰りはタイミングよくバスで千歳船橋に戻った。乗車時間は10分足らず。

千歳船橋~田園調布間の園01系統は1時間に2~3本の運転だからそこそこ使える。高架下の箱根そばで腹を満たしてこの日は帰宅。

22日は綱島へ。写真展会場のミズキーホールは新綱島スクエア4階にあり、新綱島駅に直結しているから非常に便利だ。OER3001さまの名前を出したのでVIP待遇になり、古典蒸機のカードのフルセットをいただいた。メインで使っているカメラはゼンザブロニカS2だそうで、高校からの同級生が親を口説き落として買ってもらい、それを何度か操作したことがある。シャッターを切るとガシャーンと大きな音がして、絶対に隠し撮りはできないカメラだった。

4階のエスカレーター脇からの眺めがなかなかよい。左奥で新幹線が鶴見川を渡っているが、コンクリート橋なので窓から下は見えない。

すぐ手前には曰くありげな家。重機がいるけど解体するのではなさそう。近くで様子を見たかったけど、午後に予定があるので今日のところは引き上げる。
月刊誌の鉄道ジャーナルが4月発売号で休刊(実質的な廃刊)となるそうだ。よくも悪くも編集長の竹島さんの個性が出まくりで、臍曲がりの私は竹島信者にはなれなかった。

美術館は環八沿いの砧公園内にあり、小田急や東急田園都市線の駅からは微妙に遠い。私は小田急利用が楽なので、千歳船橋から歩くことにした。地図で見た限りでは30分くらいで行けるだろう。

環八に出た所で「すみれば自然庭園」が目についた。こういう公園は無視できないのでちょっと寄り道していく。

そんなに広くはなく、元は個人のお屋敷だったような感じ。

その向かい側にある建物は葬儀場のメモリードホール。南に向かって歩くと外車のディーラーが軒を並べている。

右手に見えるのはNHK技術研究所。小学校の低学年の頃、父親にくっついて5月の一般公開にいった覚えがある。当時はせいぜい3階建てくらいの建物だった。

世田谷通りと交差する所が三本杉陸橋。交通情報でよく耳にする地名だ。

駅から30分くらいで砧公園の端っこに到着。

手前に清掃工場、世田谷市場があり、美術館は赤丸の位置になる。

初めてだけどすでに見慣れた感じの看板があった。入口は右で、バックの建物は世田谷市場になる。シニア料金1200円を払って入館。

回廊部分に置かれた台車の模型。個人的にはこれが一番見たかった。住友金属のKS33は小田急でも使っているけど、東急では枕バネをオイルダンパー付きのコイルバネに改造している。

5000系用のTS301。

直角カルダンの構造がよくわかる。横梁には天賞堂の銘板が付いていた。

7000系のPⅢ台車。こんなのをしつこく撮影しているのは私だけだった。

平日の昼間にしては人が多い気がする。

開業時の目黒駅。この時代からデトはいたのか。

地平時代の蒲田駅。昭和41年に撮影した時もまだ地平だったはずだが覚えがない。

溝の口は長津田延長開業の当日なのか。駅に併設のストアは東急ストアではなく東光ストアだった。地元の高円寺にもあったな。

帰りはタイミングよくバスで千歳船橋に戻った。乗車時間は10分足らず。

千歳船橋~田園調布間の園01系統は1時間に2~3本の運転だからそこそこ使える。高架下の箱根そばで腹を満たしてこの日は帰宅。

22日は綱島へ。写真展会場のミズキーホールは新綱島スクエア4階にあり、新綱島駅に直結しているから非常に便利だ。OER3001さまの名前を出したのでVIP待遇になり、古典蒸機のカードのフルセットをいただいた。メインで使っているカメラはゼンザブロニカS2だそうで、高校からの同級生が親を口説き落として買ってもらい、それを何度か操作したことがある。シャッターを切るとガシャーンと大きな音がして、絶対に隠し撮りはできないカメラだった。

4階のエスカレーター脇からの眺めがなかなかよい。左奥で新幹線が鶴見川を渡っているが、コンクリート橋なので窓から下は見えない。

すぐ手前には曰くありげな家。重機がいるけど解体するのではなさそう。近くで様子を見たかったけど、午後に予定があるので今日のところは引き上げる。
月刊誌の鉄道ジャーナルが4月発売号で休刊(実質的な廃刊)となるそうだ。よくも悪くも編集長の竹島さんの個性が出まくりで、臍曲がりの私は竹島信者にはなれなかった。