モハメイドペーパーの      何が出てくるか 2.2

かなり「鉄」分が多めの内容になっています。 バックナンバーはこちらから http://jorc.livedoor.blog/   http://jorctk.cocolog-nifty.com/

国鉄

1986年、沼津機関区一般公開

梅雨はどうした、という天気が続いていますが、これ幸いとカメラを持って出歩いています。しかし、今日(4日)の暑さはかなり手強く、写真展を見ただけで撮影は止め、早めに帰宅しました。

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1986(昭和61)年8月16日、沼津機関区が100周年を記念して一般公開された。並んでいるのは左からEF53 8(実際はEF59)、C56 160、EF15 184、EF60 95、EF58 170。100周年記念のマークは時間を切って付替えられた。展示車両はこれだけではない。

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クモハ119-7、クハの車号は不明。飯田線用の119系だが、2連の何本かは冷改され、するがシャトルとして東海道本線で使用されていた。

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クリーム色に赤帯で、この部分はするがシャトルのSSを表している。

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クモヤ22112、JR東海になってから旅客用に復元され、クモハ12041となる。

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クモヤ145-601、これも旅客用のクモハ123-601に改造され、身延線で使用された。

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クモヤ90052、50番代は交流区間対応だから、関西から転属してきたのか。

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EF65 519、高速貨物用のF形。真面目に撮れたのはこの時くらいだ。

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はるばる門司から回送してきたEF30 17。後にED75 37がいるが、単独での写真は撮っていない。場所か悪くて諦めたのだろうか。

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左からEF58 170、EF60 95、EF15 184、EF53 8。まだパンタは上がっていない。

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EF58 170、ブタ鼻で小窓というあまり人気のないスタイルだが、この頃はそんな贅沢はいっていられなかった。所属区不明、EF15と同じ竜華かも知れない。

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EF62は東海道・山陽で荷客に使用されていた。

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EF59の上り寄りデッキは補機仕様に改造されている。EF53の形式入りナンバープレートはレプリカなのか。

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これは模型で作るとロストパーツが締めていくらになるのやら。

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DD16 1、DD51のキットから2両作るのは無理か。

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DE15で車号不明。こんな所で撮れるとは思わなかった。

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たまたまここに留置されていたという感じのDD13 225。後にDD51 624がいたのはネガを詳しく見て初めて気付いた。

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辛うじてED75とDD51の存在がわかるカット。

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C56は煙を出すため煙室扉が開いている。

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煙室扉を閉めたところ。手前のEF15は竜華の所属で、これもブタ鼻。

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100周年記念マークはEF60に付替えられている。

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オロネ10を改造したオヤ10 1(手前)。

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建屋内にはマイネ40から改造のオヤ41がいた。

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EF65の台車も公開されていた。これは中間台車なので吊りリンクが長い。

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見終わってからは119系に乗って興津まで足を延ばし、有名な興津川橋梁で撮影。113系はすべて非冷房で、飯田線からお役ご免になったクモユニ147が連結されている。

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これはモハだけ冷房車だが、クハが非冷房だと制御盤がないから冷房は効かないはず。

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EF62が牽く荷客も撮れた。

機関区公開シリーズはこれで打止め。




1985年、高崎機関区一般公開

1985(昭和60)年4月3日、高崎機関区の一般公開が行われました。この時は春休みということもあり、小学校5年生だった長男を連れて行っています。

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青い電機の勢揃い。右からEF66 1、EF65 501、EF64 1001、EF63 1、EF62 1というトップナンバー揃いとなれば、北向きでトップライトじゃないかなんて文句はいっていられない。

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EF66の側から。

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これは南側からで、ヘッドマークは前後で別物。この奥(右側)にも展示車両がいるから、正面からは撮れない。

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EF66 1。

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65と64の並び。個人的にはEF64の1000番代は好きではない(外観だけの話)。

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EF62 1。

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碓氷峠のコンビ。営業運転の姿はほとんど撮っていない。

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スッピンのEF65 501。

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EF60 501はちょっと目立たない所に置かれていたので、誰にも邪魔されずに撮影できた。

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その奥にいたEF60 15。ブタ鼻になっている。

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茶色の電機は4形式展示されていた。私はお召し列車に興味がないので、61号機を撮ったのはこの時くらいしかない。

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廃車になるはずが手違いで生き延び、茶色になって人気が出たEF58 89。

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EF15 165。旧型電機で最多両数のEF15も終焉を迎えていた。

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ブタ鼻のEF15 200。長男がデッキに乗っているところも撮っている。

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EF15の並び。

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EF55 1。後に車籍復活で本線を走るが、この時は車籍があったのだろうか。

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EF59は場所が悪く、単独での写真は撮れなかった。

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EF55の平妻側もしっかり撮っておいた。EF59はEF53からの改造だから、高崎に配置されていたこともある。

見てのとおり入場者はかなり多いが、全体に緩やかな雰囲気で、少し待っていればそこそこの形式写真が撮れた。ほとんどの形式の1号機を集めたのは凄いが、EF65の1000番代がいないのは何故なのだろうか。


1984年、八王子機関区一般公開

国鉄の機関区公開シリーズ、年代順に追ってみましょう。八王子機関区の一般公開は1984(昭和59)年12月8日に行われました。展示車両は3両のみという小規模なものなので、おまけにそのフィルムに写っている画像もご覧ください。

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EF15 170。もう第一線を退き、青梅線、南武線で予備的に使用される程度だった。バックに見える「そごう」も現在は撤退して、八王子にデパートはなくなった。

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EF64 1019。中央線の主力だが、地元の高円寺では見る機会がなかった。側面のデザインはどうも好きになれない。

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EF64 1。ろくよんのトップナンバーで、当初は福島~米沢間で使用されたため、前面につらら切りの格子を撤去した後のボルトが残っている。

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こんな工合に3両が並べられていた。八高線用のキハ35なども入庫しているが、自区の車両ではないから展示対象にはならない。

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建屋の中にいたDE10 573もよい状態で撮影できた。機関区での写真はこれまで。

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12月31日に地元の高円寺で撮影した183系の「あずさ」。8M4Tの12連で、中央のサロの1両が少し窓位置が高いように見えるのは、485系からの改造車かも知れない。

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現在の「むさしの号」の前身といえる「武蔵野線リレー号」。101系1000番代で多客期に運転された。場所は西国分寺、これに大宮まで乗った。

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以下は1985年1月22日撮影。池袋~大塚間を走る荷2633Mで、湘南色の荷電が6両の名物列車だった。先頭(右)はクモユ141、続く3両はクモニ83、後尾2両は新性能荷電のようで、クモニ143かクモユニ143かは判別できない。

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東十条を通過する特急「鳥海」。電車特急だった時代は1982年11月から1985年3月までと短い。

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185系200番代による新幹線リレー号。東北・上越新幹線が東京に達するまでのショートリリーフ列車で、何度か見かけたが乗ったことはない。

1984年、浜松機関区一般公開

このブログの主旨に戻り、昔の写真の蔵出しです。国鉄末期になると各地で機関区の一般公開が行われるようになりました。貨物列車がコンテナ主体に変わりつつあり、客車列車も少なくなって機関車は余り気味、つまり展示するものには事欠かなかった時代です。

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1984(昭和59)年8月23日に行われた浜松機関区の一般公開。初めて青春18きっぷを使い、現地に到着したのは午後だった。

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機関車大集合だが電車も展示されていた。鋼体化のクモニ13を豊川分工場が魔改造したクモル23050。

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クエ28100はサハ17(100番代)からの改造。右はノーマルなクモニ13で、いずれも豊橋機関区所属の飯田線用。というのは国電ファンには釈迦に説法だろう。

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浜松工場の入換え用だったED18 2。JRになってからトロッコファミリー号の牽引で注目を集めるなんて、誰も想像できなかった。

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これが目玉の並び。左からDD16 1、EF58 165、ED60 1、EF15 168。EF15は自局の車両じゃないから、勝手にパンタあげたりはできない、てことか。

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その並びを後ろから。この頃、レンズは50mmと135mmだけで、広角は持っていなかった。

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一番奥の目立たない所にいたEF66 901。

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EF59 1。

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EF63 14。左にちらっと見えているEF65のPFは撮っていない。

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身延線用の62系が休憩室になっていた。冷房なしだから暑い。

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足回りが外されたEF58 169。

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ご用済みになったED62。運転室に入れたが、カンカン照り中に放置だからもの凄く暑かった。

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EF60をまともに撮ったのはこの時くらいかも知れない。

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こちらは展示ではなく現役の車両で、左端のED62以外はすべてEF60。

帰りは途中まで非冷房の113系で、自宅に着いたのは22時過ぎ。とにかく暑い1日だった。

緊急公開! 西武の貨物列車が出入りしていた頃の国分寺

ぬか屋さんのブログが発端で、国分寺駅の西武鉄道国分寺線とJR中央線との間にあった貨物列車授受用側線についてシグ鉄さんから突っ込みがありました。私が横レスしたのですが、ウロ覚えで事実と違う部分もあったので、写真で検証してみます。
*撮影は武蔵野線が開業する直前の1973(昭和48)年3月、同線開業で廃止となる下河原線のお別れ撮影です。

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下河原線ホームに到着した101系。日中はクモハ40の単行運転だが、この日は府中競馬の開催日なので日中も101系の3連になっている。

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下河原線のホームが一番南側ではなく、さらに貨物用側線が5本(手前にもう1本あるのかも知れない)確認できる。通過する165系は下り寄りのクハが1両だから、富士急に入る「かわぐち」だろうか。その後方に多摩湖線のクモハ401形が見えている。

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高尾寄りの見通し。EF64牽引の普通列車が通過する。

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西武のホキもいた。

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東京競馬場前行きが発車。

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西武と擦れ違う。国分寺線は351系のようだ。

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西武鉄道に向かうセメント列車がワフを連結して待機。国分寺線のホーム位置は今も変わっていない。

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E851を連結する。

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連結して出発待ち。中央線の東京行きと並ぶ。

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南側からの遠望。この風景もあと数日で見納めになる。

*追記
あと数日で見納めになるのは下河原線で、西武との貨物列車の行き来は、秋津の連絡線が使用開始となる1976(昭和51)年3月まで続きます。
プロフィール

モハメイドペーパー

1946(昭和21)年1月生まれ、男、AB型。中央線(JR)の沿線に生息しているので、鉄道は複線で電化され、電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道関係のライターが本職となり、現在も細々ながら現役。趣味はカメラいじりと模型製作。

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