晴海鉄道橋を見に行った9月22日、そのまま帰るのは早いから、以前から気になっていた水際を歩いてみた。

歩いたコースを地図で確認しよう。上から下への水路が隅田川派川の晴海運河、右に分かれているのが豊洲運河、左斜めが隅田川になる。一番下の赤丸が春海橋でここから川岸を隅田川に向かって歩く。次の赤丸は佃水門で左下に延びるのが朝潮運河、水門の脇の橋が朝潮大橋。上の丸は相生橋、さらに水際の石川島公園を歩き、隅田川に出たら下流(地図の左方向)に向かう。左上の赤丸が住吉水門と住吉小橋、その下の赤丸が佃小橋になる。

この道は都バスも走るが歩く人は少ない。正午近くでだいぶ暑くなってきた。

前方に見えてきたのは相生橋。

佃水門、渡っているのは朝潮大橋。

相生橋のたもとに来た。道路は清澄通りでこの下に都営地下鉄大江戸線が走っている。路線バスはこの手前で曲がってしまうので、今回は歩いて渡ってみよう。

片側4車線なのでかなり幅は広い。この橋が竣工したのは1999(平成11)年だから全溶接構造でリベットはない。

歩いてきた方を振返る。ほぼ中央に晴海鉄道橋、左に豊洲公園のクレーンが見える。

右に先ほどの佃水門。

左に振ると豊洲水門が見える。その先は豊洲運河。

対岸に見える帆船は明治丸。このあたりは東京海洋大学のキャンパスの一部になる。

橋の中程には中の島公園。今は江東区になる対岸につながっているが、地図で見ると公園の真ん中が中央区との境界線になっている。

改修工事中で入れなかった。

橋の内側から撮ってみる。構造的に無駄がないのだろうけど少々素っ気ない。

江東区には渡らず、中央区側を歩く。ちょうど屋形船が来た。対岸の水際は越中島公園で水上バスの発着場もある。

水面に突出た喫煙スペース。煙草を吸うためにわざわざここまで来るのかと思うが、中では数人が煙を吐き出していた。

都鳥ではないな。鷺の仲間なんだろう。

隅田川との分流点まで来た(地図で一番上の尖った所)。正面の橋は言わずと知れた永代橋。

下流側には中央大橋が架かる。バスで何度か通り、こちら側の景色が気になっていたのだ。

橋を渡るつもりだったが、このまま佃公園まで歩くことにする。

中央大橋の下を潜る。僅かにカーブしているのがわかる。

橋を渡ってそのまま歩けば東京駅にブチ当たる。

このあたりは灯台広場。見た目は江戸時代の灯台のようだが、下はトイレになっている。

下流に見えるのは佃大橋。

微妙な高低差がある住吉小橋を渡る。

小振りな住吉水門。それぞれの運河には水門があるわけで、見比べればそれなりにおもしろさはある。メーカーなんぞを調べるのはドロ沼に嵌まる第一歩なので止めておく。

運河というより〇〇堀という雰囲気だ。

橋の路面に埋め込まれた案内図。右方向から歩いて来た。

左を見れば真っ赤な鳥居が建っている。奥が住吉神社だ。

そんなに広くはないけど立派な社殿があった。住吉さんといえば海の神様だ。

ちょっと脇道に入って進むと佃小橋に出る。

左は住吉水門に続いている。

右は行き止まり。昔はもっと先まで延びていたのだろう。

振り返ると煙突が。マンションの1階が風呂屋になっている。

昭和っぽい民家。左の建物は神輿庫でその奥は隅田川の堤防。

佃大橋が完成する昭和39年までは、佃の渡しと呼ばれる渡船が運航されていた。

その案内板の右手の建物、よく見れば佃煮屋だ。安政6年創業とあるからかなりの老舗なんだな。

その斜向かい、こちらは元祖だ。

元祖と張合うのは本家。店の中を見てみたい気はあるが、入ったら買わずに出られそうにない雰囲気だから、外から眺めるだけにしておく。しかし、こんな所で商売になるのだろうかと余計な心配をしてしまう。

この路地はちょっと余所者は入れない。

佃大橋を渡る。住吉神社の鳥居が見えている。バックのタワマンは大川端リバーシティ21。

橋の真ん中あたりから、中央大橋とスカイツリーを絡めてみる。構図を決めかねて橋の上を行ったりきたりしている暇人は私だけだった。

橋を渡った右岸にも佃の渡しの案内板があった。どちらも中央区教育委員会の監修だがこちらの方が古く、文面も多少の違いがある。時刻は13時を回ったところ、このまま歩けば有楽町に出るが、ちょうど東京駅八重洲口行きのバスが来たのでそれに乗り込む。この日の歩数は17,000歩を少し越えた。

歩いたコースを地図で確認しよう。上から下への水路が隅田川派川の晴海運河、右に分かれているのが豊洲運河、左斜めが隅田川になる。一番下の赤丸が春海橋でここから川岸を隅田川に向かって歩く。次の赤丸は佃水門で左下に延びるのが朝潮運河、水門の脇の橋が朝潮大橋。上の丸は相生橋、さらに水際の石川島公園を歩き、隅田川に出たら下流(地図の左方向)に向かう。左上の赤丸が住吉水門と住吉小橋、その下の赤丸が佃小橋になる。

この道は都バスも走るが歩く人は少ない。正午近くでだいぶ暑くなってきた。

前方に見えてきたのは相生橋。

佃水門、渡っているのは朝潮大橋。

相生橋のたもとに来た。道路は清澄通りでこの下に都営地下鉄大江戸線が走っている。路線バスはこの手前で曲がってしまうので、今回は歩いて渡ってみよう。

片側4車線なのでかなり幅は広い。この橋が竣工したのは1999(平成11)年だから全溶接構造でリベットはない。

歩いてきた方を振返る。ほぼ中央に晴海鉄道橋、左に豊洲公園のクレーンが見える。

右に先ほどの佃水門。

左に振ると豊洲水門が見える。その先は豊洲運河。

対岸に見える帆船は明治丸。このあたりは東京海洋大学のキャンパスの一部になる。

橋の中程には中の島公園。今は江東区になる対岸につながっているが、地図で見ると公園の真ん中が中央区との境界線になっている。

改修工事中で入れなかった。

橋の内側から撮ってみる。構造的に無駄がないのだろうけど少々素っ気ない。

江東区には渡らず、中央区側を歩く。ちょうど屋形船が来た。対岸の水際は越中島公園で水上バスの発着場もある。

水面に突出た喫煙スペース。煙草を吸うためにわざわざここまで来るのかと思うが、中では数人が煙を吐き出していた。

都鳥ではないな。鷺の仲間なんだろう。

隅田川との分流点まで来た(地図で一番上の尖った所)。正面の橋は言わずと知れた永代橋。

下流側には中央大橋が架かる。バスで何度か通り、こちら側の景色が気になっていたのだ。

橋を渡るつもりだったが、このまま佃公園まで歩くことにする。

中央大橋の下を潜る。僅かにカーブしているのがわかる。

橋を渡ってそのまま歩けば東京駅にブチ当たる。

このあたりは灯台広場。見た目は江戸時代の灯台のようだが、下はトイレになっている。

下流に見えるのは佃大橋。

微妙な高低差がある住吉小橋を渡る。

小振りな住吉水門。それぞれの運河には水門があるわけで、見比べればそれなりにおもしろさはある。メーカーなんぞを調べるのはドロ沼に嵌まる第一歩なので止めておく。

運河というより〇〇堀という雰囲気だ。

橋の路面に埋め込まれた案内図。右方向から歩いて来た。

左を見れば真っ赤な鳥居が建っている。奥が住吉神社だ。

そんなに広くはないけど立派な社殿があった。住吉さんといえば海の神様だ。

ちょっと脇道に入って進むと佃小橋に出る。

左は住吉水門に続いている。

右は行き止まり。昔はもっと先まで延びていたのだろう。

振り返ると煙突が。マンションの1階が風呂屋になっている。

昭和っぽい民家。左の建物は神輿庫でその奥は隅田川の堤防。

佃大橋が完成する昭和39年までは、佃の渡しと呼ばれる渡船が運航されていた。

その案内板の右手の建物、よく見れば佃煮屋だ。安政6年創業とあるからかなりの老舗なんだな。

その斜向かい、こちらは元祖だ。

元祖と張合うのは本家。店の中を見てみたい気はあるが、入ったら買わずに出られそうにない雰囲気だから、外から眺めるだけにしておく。しかし、こんな所で商売になるのだろうかと余計な心配をしてしまう。

この路地はちょっと余所者は入れない。

佃大橋を渡る。住吉神社の鳥居が見えている。バックのタワマンは大川端リバーシティ21。

橋の真ん中あたりから、中央大橋とスカイツリーを絡めてみる。構図を決めかねて橋の上を行ったりきたりしている暇人は私だけだった。

橋を渡った右岸にも佃の渡しの案内板があった。どちらも中央区教育委員会の監修だがこちらの方が古く、文面も多少の違いがある。時刻は13時を回ったところ、このまま歩けば有楽町に出るが、ちょうど東京駅八重洲口行きのバスが来たのでそれに乗り込む。この日の歩数は17,000歩を少し越えた。









昭和37年商業高校卒業でスーパーゼネコン入社で40年9月に初めて製鉄所現場に配属で、当時の鉄骨工事はリベットが主流で事務所で残業してると30mの高所に地上から長いヤットコでリベットを投げると上で小さなバケツ様の物でキャッチしていました!
>全溶接構造でリベットはない。
上部にプレート状の物が見えるが、ハイテンションボルトですねぇ~!
モハメイドペーパー
が
しました