モハメイドペーパーの      何が出てくるか 2.2

かなり「鉄」分が多めの内容になっています。 バックナンバーはこちらから http://jorc.livedoor.blog/   http://jorctk.cocolog-nifty.com/

2025年01月

ほぼ回復

年明け早々から香典の用意か・・・なんて早手回しの方もいたかも知れませんが、なんとか平常の状態に戻っています。大事を取って食事の量は少し控え目にしていますが。

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朝食をすませ、2階の仕事部屋に入った時の気温。昨日が6.9度だったから今日が一番寒い。8度台ならそこそこ体も慣れているけど6度台は空気の冷たさを実感する。私が生まれた1月27日もかなり寒い日だったと聞いているけど、寒さにはあまり強い方ではない。
 ところで、今日は阪神淡路大震災から30年目。もうそんなになるのか。その震災は仕事絡みの思い出がある。

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鉄道ダイヤ情報の1995年3月号(2月発売)が阪神電鉄特集で、1994年12月から取材に行っていた。写真の5151形は2両しか新製されなかった少数派で、600V時代の2個パンタだったのを見ている。写真はカメラマンと一緒に尼崎構内の職員通路から撮影しているが、阪神の職員が立ち会っているから問題はない。

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この日は5261形と連結していた。屋根肩のカーブがR=350と大きいのがわかるだろうか。形式写真は撮れたけどもうひとつ撮りたい部分があった。それは窓の日除け。阪神の日除けは金属製の鎧戸で窓高さの半分くらいしかない。しかし、この頃はほとんどがロールカーテンに取換えられ、鎧戸が残っているのは5151形の2両だけだった。阪神ファンならご存知だが、阪神の普通車は一度出庫したら終電まで走りっぱなしだし、私はこの日の夕方には東京に戻らなくてはならない。こうなれば営業中の車内で撮るしかない。普通車は西宮で特急待避があり客の大半が入れ替わるから、その時が狙い目だ。
梅田から戻ってきた元町行きに乗り、西宮が近づいたら降りそうな客に見当をつける。カメラマンには席が空いたらすぐに俺が日除けを降ろし、客が座らないようにしているからと段取りをつけた。予想どおり西宮ではほとんどが降りたのでさっと日除けを降ろし、乗ってきた客には「すんません、ここんとこちょっと座らんといてください」と声をかけ、その間にカメラマンはパシャ、パシャ、パシャと連写する。無事に撮影できたが、私は乗客の整理をしたので自分のカメラでは撮影できなかった。
年が明けてからもう一度不足分の撮影に出かけたのが震災の数日前。予期せぬことで編集部も大騒ぎになり、阪神電鉄に問い合わせて予定どおり特集号は発行できた。しかし、5151編成は三宮の地下線で被災してそのまま廃車になってしまった。
ということで5151形は私にとって一番忘れられない形式になった。 


体調不良

といっても流行のインフルエンザではない。13日の夜から胃の工合がおかしくなった。食欲は普通にある。食べて数時間たったら全体に重苦しい感覚が広がってきた。痛みではない。吐き気もない。表現しにくいけどいいようもない不快感であることは確かだ。おかげで夜中は満足に眠れず、その反動か14日は軽く朝食をとり予約していた歯医者に行ってから、ちょっとひと寝しようと横になったら、なんと17時まで熟睡してしまった。それでも胃の工合は回復せず、15日は医者に行った。胃酸の分泌を抑える薬と胃の粘膜を保護する薬が出て服用し、重苦しい状態は収まったけど、まだ少しもやもやした感じは残っている。まぁこんな時は無理せずゆっくり休養するのが一番なのだ。

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とはいっても何もしないて昼寝を決め込むほどヒマではない。15日の夕方に校正のPDFが送られてきた。再校だから赤字合わせだけですむけど、念のためひととおり目を通し、明日(17日)中には返さなければならない。全部で5ページだからなんとかなるだろう。

新67-05 1100形 P4253389
ということでオマケ画像は1967(昭和42)年5月撮影の新京成。場所は五香の近辺のはず。いわゆる京成タイプの車体だけど先頭は1100形、続くクハも車体裾の形状からちょっと曰わく付きな形式だと思われる。






初めてのデジカメ画像

まずは今日の1枚を。

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どんだけヒマなんだ、といわれそうだけど100%否定はできない。
で、ヒマに任せてハードディスクから発掘された画像を並べてみた。

私のデジカメ元年は2000年、仕事仲間の何人かがデジカメを使い始めたので、勉強かたがた手を出してみようという気になった。黎明期のデジカメは30万画素くらいで、画質は新聞の写真くらいのレベルだった。21世紀になる直前の頃には、なんとか使い物になりそうな100万画素クラスが出揃い、値段も10万円を切るくらいになっていた。

京セラ 1300DG
初めて手にしたデジカメは京セラの1300DGという機種。フィルム時代からのSAMURAIシリーズのデザインを受け継ぎ、レンズは45~135mm相当でボディ外には出っ張らない。130万画素で定価が89,800円くらいだったが、まもなく200万画素の新型が出るので大幅に値引きされ、19800円ほどの値札が付いていたので、財務担当者の了承を得て購入となった。今のカメラに比べれば起動に4秒ほどかかり、AFは遅いし電池(単3×2)はすぐ減るけど、当時のデジカメはそんなものだった。

トロッコDC外観 00.5.28
そのカメラで撮った画像の一部がハードディスクに残っていた。JR東日本の仙台支社がキハ48をトロッコ客車に改造した「びゅうコースター風っこ」で2000年5月28日に品川駅で一般公開された。車号はキハ48 547とキハ48 1541で改番はされていない。

トロッコDCサイド 00.5.28

トロッコDC連結面サイド 00.5.28
サイドはドアが1箇所ずつ埋められている。

トロッコDCロゴ 00.5.28
前面と側面にロゴが入る。

トロッコDC車内 00.5.28
車内。室内灯がランプ風になっている。

トロッコDC椅子 00.5.28
座席は木製。30分も座っていると尻が痛くなりそうだ。後に冬でも使えるよう、本格的な窓が設けられている。

トロッコDCイベントステージ 00.5.28
ドアを埋めた所がイベントスペースになっている。この車両は塗色の変更もなく、今もまだ現役なのは驚異的といえる。

クハE231-901 L賞プレート付き前面(2) 00.6.30お茶の水
これは2000年6月30日撮影。E231系が鉄道友の会のローレル賞を受賞し、記念のマークが取り付けられた。

クハE231-901 L賞前面プレート 00.6.30
遠景だとローレル賞の文字がよく見えない。

205・209 02.04.23
2002年4月23日撮影。この頃は205系と209系が主力だった。

E231秋葉原 02.04.23
同じ日、デビューして間もないE231系を撮影している。
この年に300万画素のオリンパスC-3100に買い換え、京セラの1300DGはお役ご免になった。


五反田駅の道中そば

原稿書きの仕事はまだ残っているけど、本日(8日)は今年初めての本格的な外歩きに出かけた。

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都営地下鉄浅草線、特に五反田~西馬込間はほとんど乗る機会がない。

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2駅乗って中延で降りた。今日の目的地はここ。

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10分弱歩いて蛇窪神社に到着した。松の内も明けたのにえらい混みようだ。

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並んでいる列が半端じゃなく、画面奥で左に折れ、1本先の通りの小学校の脇まで連なっている。列の最後尾で警備している人の話では、拝殿に着くまでに3時間くらいはかかるでしょう、とのこと。とても付き合いきれないから、参拝はまた日を改めてということにして中延に戻った。まだ帰るには早いので、商店街を歩いて戸越公園駅に出て、さらに戸越銀座を端から端まで歩いてから池上線で五反田に戻った。

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というところでこれからが本題。JRの五反田駅は改札を出た自由通路に「いろり庵きらく」ができていたが、ホーム上には昔ながらの駅そばスタイルの道中そばがあり、しっかりと営業を続けている。

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内回り側。通路を確保するため看板や暖簾は控え目になっている。

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外回り側の方が少し通路に余裕がある。

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ここんなプレートもあった。

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メニューはそんなに多くないが、今時、ほとんどが500円以下というのは珍しい。

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490円のちくわ天そば。茹で麺だから食券を渡して10秒ほどで「はい、どうぞ」となる。ネギが別皿でこれでもかの量だし、NRE系だから擂り胡麻もたっぷりかけた。そばも一応そばらしい体裁を保っているし、今時この値段を維持していることは表彰状ものだと思う。

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そばとは関係ないけど、先日、カミサンの実家から米といっしょに干し柿が送られてきた。このくらいの量ならガチガチにならないうちに食べ切れそうだ。




1968年1月の京都、大阪

チャン、チャララララララ、ピヤァ-(箏曲、春の海)と穏やかに明けた2025年ももう5日、そろそろ頭の中を仕事モードに切換えないといけない。

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元日の午後は地元の八幡神社に初詣。

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例年は10数人くらいが拝殿の前に並んでいるのだが、今年はその3倍くらい、10数mで4・50人くらいの列になっている。お詣りしたあとは高円寺駅まで歩き、JRに初乗りした。

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ということで今日の写真は1968(昭和43)年1月3日に撮影した京都と大阪の電車。大学3年で家にいても退屈だがら「ちょっと行ってくる」と2日の夜行列車(急行の讃岐だったと思う)に乗って関西に向かった。京都で降りて最初に撮っているのがこれ。京阪の80形で市電の線路と直角に交差しているから東山三条だろう。それにしても見事にガラ空きだな。

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蹴上げを通過する260形の急行。曇り空で寒かった。

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市電と京福叡山線が交差する元田中。市電は900形、叡電はデオ200形。手前の斜めの線路はかつて市電が叡電に乗り入れていた頃の名残を留めている。この頃は使われていないから架線はない。

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市電の600形。後ろのビルに阪急電車河原町駅の看板が出ているから、四条河原町の電停とわかった。

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京福の宝ヶ池。よく見ると運転士が窓から顔を出し、ホームの駅員と挨拶を交わしている。

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鴨川と疎水の境目を走る京阪電車。1300形と1650形だが2両目もパンタ付きのようだから630形か。

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2000形、スーパーカーの愛称があるがランボルギーニカウンタックやランチアストラトスなんかの仲間ではない。

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近鉄820系、まだこの時代は近鉄が三条、京阪が近鉄京都まで乗入れていた。

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大阪までは阪急に乗ったようだ。淡路で左の1300系は天神橋~北千里、右の700系は京都~十三になっている。梅田の京都線は2線だったから普通の一部は十三止まりだった。阪急の職員も制服は詰め襟のように見える。

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十三で2800系。やはり2枚看板はえぇなぁ。発車して間もなくでそんなにスピードは出ていないけど、プログラムシャッターのフジカハーフは見事にブレている。

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新京阪のデイ100。車内は暗い感じだし、高速で走る区間を乗っていないから、それほど魅力的な車両とは思えなかった。

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宝塚線だから2100系か。1500Vに昇圧しているからパンタは1個になっている。このあと市電を乗り継いで上本町に向かっている。

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やっと天気が回復。12200系の名古屋行きノンストップ特急を見送り、このあとの宇治山田行き急行に乗った。先頭がモニ2300形でそのコンパートメント風の席に座ったが、ほどよくヒーターが効いて半分くらいは居眠りしていた。伊勢中川からの名古屋行き急行も2200系だったが混んでいて、2200形のロングシートになんとか座れた。途中で日没になり車窓からの風景はほとんど覚えがない。名古屋からは始発の新幹線で席を確保して東京に戻った。


  


プロフィール

モハメイドペーパー

1946(昭和21)年1月生まれ、男、AB型。中央線(JR)の沿線に生息しているので、鉄道は複線で電化され、電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道関係のライターが本職となり、現在も細々ながら現役。趣味はカメラいじりと模型製作。

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